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出版のあしあと

今日の朝刊1面に「新風舎きょう再生法申請」という記事が出ていました。残念なニュースです。実は私が今読んでいる本は新風舎の本です。素晴しい本ですよ。
私は昨年2月に初の著書を出版しましたが、その原稿を書いていた一昨年の秋ころ新風舎は朝日新聞の日曜版beに社長が紹介されるなど、とても勢いに乗っていました。新風舎とのエピソードも含めて、私の出版までのあしあとを綴ります。

出版のあしあと

●出版までの道のり
平成17年夏(キッカケ)
出版のキッカケは、平成17年の夏にPMPさんが総合技術監理部門の対策本を出版されて、その記念パーティー?に招かれたときのことでした。
ここに、出版社(株式会社テクノ)の方も来られていて、たぶん冗談だったと思うのですが、テクノのSさんから「次はイマジンさんもどうですか」と声をかけていただき、名刺を交換しました。
そうそう、いきなり脱線して申し訳ありませんが、このときのことで印象に残っていることがありましたので、ついでに書いておきます。懇親会のとき、私の着いたテーブルには、APECさん、青い炎さん、Oさん、かーすけさんと私の5人が座っていて、順に自己紹介をしたのですが、そのときに私の隣に座っていたかーすけさんが、「このテーブルは、青い炎さん以外全員が技術士を3つ持っているんですね」といわれました。それまでは技術士であるか否かが重要だと考えていましたが、これからはマルチ技術士の時代なんだと実感した瞬間でした。

平成18年夏(出版への欲求の芽生え)
それから1年間、出版社との連絡はまったく取りませんでした。
この年の夏、私は4つめの技術士(建設部門/施工計画)を取得すべく、8月上旬の試験に向けて準備していました。平成14年度から3年連続で技術士試験を受けていましたが、平成17年度は転職もあって受験しなかったため、1年間受験から遠ざかったせいか、なかなかモチベーションの上がらない年でした。今思うと「施工計画」に関する経験は実質転職後の1年間しかなかったため、論文のネタ探しも1年の経験から探すことになり、できることが限られていたせいかもしれません。
試験まで1カ月をきったころのある日、ある方から、「今年の○○○○の記念冊子に投稿依頼が来ています。原稿をお願いできませんか」という執筆依頼がきました。わずか1ページの自己紹介文の依頼です。このとき、私は自分の転職が正しかったのかどうかをまだ悩んで引きずっていました。いや、正しいとか間違いということではなく、活かさなければならない、転職したことを成功にしなければならないと、逆説的に考えていました。ですから、この依頼を受けたとき、すぐに「私のライフスタイル」というタイトルが浮かびました。
文章には不思議な力があって、それまで転職の成否について悩んでいたにもかかわらず、「私のライフスタイル」の原稿を書き上げてから、この生きかたが正しいというハッキリとした自信を得ました。
そして、筆記試験まであと1週間というころ、試験準備が一通り終わりあとは自信をもって臨むだけだ、などと考えているときに、「本を書きたい」と強く感じました。実はこの年は、土木学会の上級技術者試験にも申込をしていて、その試験が9月初めにあったのですが、「あれも書きたい。これも書きたい」とイメージが頭に浮かび、それを忘れないうちにメモを取っておく、というようなことをやっていたので、やはり試験勉強にはあまり身が入りませんでした。

平成18年9月(草稿応募と出版社選び)
土木学会の上級技術者試験も終わり、ようやく執筆を開始しました。
出版した本の「 ガイダンス」の原形にあたる書き出し部分の草稿(A4約25ページ)と、続きの構成や専門論文の分析表、統計コーナーのグラフ類などのイメージ(A4約20ページ)を作りました。そして、9月30日、これに紹介文を添えて、「あなたの本を出版します」のキャッチコピーで有名だった「新風舎」と1年前に名刺交換をした「テクノ」の2社にこれらの資料を送りました。ちなみに、このときつけていた仮題は、『羽ばたけ! 未来の技術士 〜平成19年度試験の攻略法〜』で、翌年の2月末に出版したいと書いていました。
翌日、新風舎から、「原稿はまだ読んでいませんが、1週間後に打合せをしましょう」との返事がありました。打合せのために、大阪の新風舎まで出向くと、担当者(名刺には出版プロデューサーと書かれていました)は20歳代の青年で、30分ほど出版に関する話をしました。結論は、「新風舎では、基本的に自費出版です。流通に乗せるための最低ラインとして初版500部を印刷します。この500部には印税はお支払いしません。逆に、初期費用として200万円程度を自己負担していただきます」ということでした。「後日返答します」といって新風舎を出るときには、断ることを決めていました。
テクノのSさんからの返事は2日後の10/2にありました。すでに読んでいただいており、「好感をもてました。出版に値すると思います」とのことでした。そして、いくつかの事項を確認したあと、具体的な企画書(原稿の締切り、校正、出版などのスケジュール、印税率、推薦文をAPECさんに依頼すること、目次と項目ごとのページ数、全体ページ数、本の大きさ、行数、文字数、フォントなど)を10/13にいただきました。こうして、テクノさんと一緒に本を作っていくことが決まりました。推薦文の依頼については、原稿もできていないのに推薦できるはずがないので、原稿が仕上がってからと考えていましたが、このころすでに、SさんからAPECさんに推薦文の依頼をされていたようです。

平成18年10月(原稿執筆)
原稿の締切りが12月上旬ということだったので、これを目標にひたすら原稿を作っていきました。出版までのスケジュールを提示していただいていたため、やる気がドンドン沸いてきて、11/3には「 統計コーナー」を除く原稿220ページ分がほとんど完成しました。そして、11/6、別の用事で埼玉に帰省したときにテクノを訪問して、H社長、Sさんにお会いし、スケジュールなどを打合せました。

平成18年11月(筆記試験不合格、そして、口頭試験支援に没頭!?)
同じころ、青い炎さんからガチンコ技術士学園の口頭試験模試の講師を依頼されました。報酬を受け取らない条件で、講師を引き受けることにしました。このとき、原稿の修正と自分の口頭試験(筆記試験に合格していた場合)とガチンコ技術士学園の講師が重なり、11月は地獄のような繁忙を極めることになると覚悟を決めました。
しかし、11/9の技術士筆記試験発表で不合格が分かりました。そして、不合格報告とともに推薦文の依頼をAPECさんに連絡しました。すると、今度はSさんとAPECさんから、PROENGINEERの口頭試験支援事業でセミナー(東京、大阪)を開くので、その講師をお願いしたいとの依頼を受けました。これもまた、著書の宣伝機会になると考えて、ボランティア講師を引き受けることにしました。こうして、11月一杯は、原稿の修正を放っておいて、ガチンコ技術士学園とPROENGINEERのボランティア講師として口頭試験支援に没頭するのでした。また、この支援活動のなかで、誤字がたくさんある状態の口頭試験編を無料配布しました。これがなかなかのPRになっていたように思います。

平成18年12月(校正)
ガチンコ技術士学園とPROENGINEERの仕事を終えたあと、再び原稿の修正作業に取り掛かりました。おおかた修正作業を終えたときの12/10に青い炎さんから忘年会のお誘いをいただきました。酒宴の席でも出版の話となり、このとき酒席を囲んでいた、PMPさん、CANさん、青い炎さんも推薦文を書いていただけるとのことでしたので、翌日、改めて推薦文をお願いしました。
この推薦文も含めて原稿修正の作業を進めていきましたが、12/13に重大なミスに気がつきました。1ページは34字×29行ということでしたので、wordで「文字数と行数を指定する」として設定していたつもりだったのですが、ページ設定画面では34字×29行となっているのに、実際には34字×28行になっていました。いまだに、なぜ設定どおりになってくれないのか原因は分からないのですが、34字×30行と設定すれば、実際は34字×29行になるということが分かりました。しかし、すでに34字×28行の状態で原稿がほぼ完成していたので、これに合わせるほかありませんでした。
口頭試験も終わってみんな次の試験に目を向け始めたせいか、12月下旬になって出版に関する問合せが増え始めました。そこで、テクノに発刊日や購入方法を確認して、年末の12/28に技術士受験を応援するページの掲示板で公表させていただきました。また、同じ日に、最終チェック用の「ゲラ刷り」が届きました。「ゲラ」というのは、私が原稿作成や修正に用いていたwordではなく、印刷用の「版」をつくるためのソフトによる原稿だと思います。まだ、版を作製する前ですが、実際に印刷されるのと同じ状態の試し刷りをいただいたということです。ここまでくると、結構実感が湧いてきます。
年末年始にゲラ刷りのチェックをしました。すると、当初要らないと思っていた「あとがき」が欲しいと思うようになり、急遽、あとがきを書き下ろしました。そして、1/5に「ゲラ刷りのチェック」と「あとがきの原稿」をテクノに送付しました。

平成19年1月(表紙選び、そして、下版)
気にはしていたのですが、「表紙」の作業が遅れておりました。11月の打合せの際に、テクノからデザイナーさんに依頼するということを聞いていました。デザインに関しては、私の原点である『橋』をイメージできるもの、それから、技術の杜ハヤブサネットワークにちなんで、『ハヤブサ』も入れてみようかとか、カモメと間違わないかなどと雑談のような打合せをしただけでした。
その表紙の第一案が1/16に届きました。しかし、この第一案は『縞鋼板』をモチーフにした模様を背景にして『青いハヤブサ』が中央にいるもので、正直いってかなり印象の悪いものでした。それから、タイトル文字もしっくりきませんでした。私が考えていたものは、サブタイトルなしの『ズバリ!技術士新制度【建設部門】の攻略法』というものでしたが、出版社は「第二次試験」という文字が含まれていないと第一次試験と勘違いする人がいるということを気にして、『ズバリ!技術士【建設部門】の攻略法 技術士第二次試験新制度対応』と、メインタイトルから「新制度」を削り、サブタイトル「技術士第二次試験新制度対応」をつけたものにしていました。
発刊日まで3週間と迫った時だったので、大幅な変更は困難だろうという諦めもありましたが、「縞鋼板は仮資材で下に敷くもの、足で踏まれるものというイメージ」とか、「タイトル文字は元のままの方がよい」とか、「著者の名前を背表紙にも入れる」とか素直に思ったことをテクノに連絡しました。すると、1/22に代案を2案も送っていただきました。2案とも第一案からは見違える出来ばえでした。そのうち1つが今回採用したものです。私の原点『橋』と、あとがきで紹介した『荀子の青』をイメージしたデザインで、一目見て「これだ!」と思い、即決しました。
そしてついに、1/23に下版となりました。これが「第一版」ができるまでの道のりです。

平成19年2月5日(発刊!)
1/23に表紙まで完成していたものの、想定外のトラブルがあって、予約受付のページに表紙を掲載するまでに少し時間がかかってしまい、正式に予約受付を案内できたのは、発刊日の4日前の2/1でした。しかし、実際のところ、テクノのホームページから予約受付をする予定であることを12/28の時点で告示していたため、表紙が掲載される前からすでに予約は来ていたようです。
発刊の案内は、私の知る限りの友人・知人に送りました。そのうち、半数以上の方から返信をいただき、その皆さんがご自身の会社や友人・知人に宣伝をしてくれました。それから、ネットの力も絶大です。推薦文をいただいた、APECさん、PMPさん、CANさん、青い炎さんをはじめ、実にたくさんの方が、ご自身のホームページやブログ、社内ネットなどで宣伝してくれました。お陰さまで、予約殺到の好調な出足になりました。
私の本は、建設部門の対策本です。建設部門の受験者数は、年間約1万人です。仮に受験者10人に1人が買ってくれたとしても1,000部です。だから、よく売れても数百部が関の山だと思っていました。
それが、発刊から5日目で、奇しくも技術士試験の合格発表の日である2/9に、出版社から「初版本500部の在庫がなくなり、追加で1,000部印刷中です」というニュースが届きました。
うれしくて涙が出そうになりました。著者の知名度が低いにもかかわらず、ほぼ発刊と同時に売り切れたわけですから、読者の口コミで売れたのではなく、推薦文をいただいた4人を代表とする応援していただいた皆さんのPRの賜物ということです。感謝、感謝です。

●本のタイトルとネット検索
それから、もう1つうれしいことがありました。
実はよくgoogleとyahooとMSNの検索に『技術士新制度』などと打ち込んで、表示順位を確認していました。googleとMSNでは、発刊前からすでにこの本の紹介ページが検索1位に表示されていたのですが、yahooの検索では10位前後で停滞していました。それが、2/8からついにyahooでも検索1位に表示され、これら検索3サイトのいずれも、『技術士新制度』でキーワード検索すると、私の著書が1位に表示されるようになったのです。これが販売部数に与えた影響は大きかったと思っています。
もし、草稿の仮題どおり『羽ばたけ! 未来の技術士 〜平成19年度試験の攻略法〜』であったなら、『技術士新制度』のキーワード検索で1位になることは不可能です。検索を意識してタイトルをつけたほうがよいというアドバイスをくれたのは、テクノのSさんでした。そして、『技術士新制度【建設部門】の攻略法』というタイトル案を考えると、これの頭に、『ズバリ!』をつけてはどうかとアドバイスをくれたのもSさんでした。Sさんのこうしたセンスの良さにとても助けられたと思っています。素晴らしい出版社、そして、素晴らしい担当者にめぐり合えたことに感謝しています。

●執筆日数
「出版までの道のり」のところで紹介しましたが、本を書きたいと思ってから約半年で出版が実現しました。しかも、10/13の企画書で仕様が定まったあと、本書の大部分(約220ページ)が完成するまでに要した日数は、わずか3週間です。これはおそらく相当に速いと思います。
これは、「本を書きたい」という思いが強かったのと、企画書をいただいたことで「これで本当に本を出せる」という喜びが大きかったのと、頭に浮かんでいたいろいろなイメージが消えてしまわないうちに書き上げてしまいたいという、ある種の恐れがあったためでしょう。
また、前職のときに、技術士推進委員をした経験と、技術士受験を応援するページでの受験支援活動をした経験も大きかったと思います。それから、これらに増して大きな要因は、すべて自分の経験や自分の考えを書いていることです。ほかの方が紹介しているものに役立つ情報はたくさんあります。それらの情報をたくさん紹介してあげることも、読者にとってはありがたいはずだと思いました。しかし、そうすることで、自分の思い、自分の書きたいことが薄れてしまうと思ったので、紹介しませんでした。

私の周りには、これから出版を考えている友人・知人が実に多くおられます。その方々の助けがあって、今回の出版が成ったので、少しでも今後出版される方の役に立てればと思い、すべてをさらけ出して、出版のあしあとを綴ってみました。



イマジン * 出版 * 23:27 * comments(6) * trackbacks(0) * - -

コメント

出版へ向けてのプロセス・・興味深いものでした。また「技術士(友達)の輪」というようなものも感じました。今後も著作等、頑張ってください。kmatsu
Comment by kmatsu @ 2008/06/18 7:04 AM
ありがとうございます。
私も場合、特にみんなに助けてもらったので、本当にそう思います。
あれほど出版に対して腰の重かったAPECさんも、今は3作目と4作目の執筆中ということですので、本当に良かったです。
私程度のものでも出版できたということが少しは役に立ったかなと思います。
Comment by イマジン @ 2008/06/19 1:43 PM
マルチ技術士の時代

私の場合、最初に「原子力・放射線部門」の技術士になる前は「世の中これじゃいけない」という思いだけで、とにかく「技術士」になろうと決意しました。
いざなってみると・・何かやろう(社会貢献しよう)とすると「不足するもの」を感じました。それを補おうとする活動、それが「総監」であり「機械部門」でした。
今後のエネルギー資源を考える時、まずは「原子力・放射線」部門でしたし、そのエネルギー源の「利用」を考える時「機械」部門でした。そして、固有技術が絡み合い、そして「技術」以外の選択肢との調整が必要な「現在」「今後」を考える時「総監」でした。

そして今、「経営工学」部門なのです。「技術士」資格にこだわり過ぎているかもしれませんが・・・。
そして今、もう一つ感じていること。個々の部門の研鑽不足です。このため、技術士会の近畿地区の活動に参加し始めています。それが近畿青技懇であり、機械部会への参加なのです。
数年後の目標は、一般向け講演の講師です。原子力分野では、けっこう一般からの講演依頼があるのですよ。そのためには「コミュニケーション能力」を身につけなくては(笑)。
気負いのようなものはなく、ただ淡々と流れています。kmatsu
Comment by kmatsu @ 2008/06/20 5:39 AM
なるほど。
kmatsuさんは、目的意識を持って挑戦し続けているところが素晴らしいと思います。私は総監を受験する時は、それほど明確な目的意識はありませんでした。
あと、一般向け講演の講師のためにコミュニケーション能力を磨くというもの面白いですね。私は逆で一般向けの講演や共同参画を(業務として)経験して、その中でプレゼンテーションやコミュニケーションを勉強させていただきました。
軟弱地盤、強風などの自然環境だけをみてもとても難しい業務でしたが、社会経済情勢の大きな変化から、費用対効果分析による事業の順位付けが盛んになり始めた時期でもあり、人口減少傾向にある地域に計画されたこの橋梁には「凍結」という言葉もちらついていました。
そこで、これらの問題をひっくるめて住民とともに橋梁計画について考え直そうということを提案し、一般公募の住民代表者による協議会等でいろいろな問題を議論しました。
協議会では、私は行政側の代弁者として地域住民に様々な説明をしました。また、住民代表者とともに諸問題を検討する、あるいは共通認識して勉強するに際しては、技術的な内容に関するアドバイザーとして議論に加わりました。
幸か不幸か、社内ではみんながやりたがらない業務でしたので、一人で何役もこなしました。そのお陰で、だいぶ勉強になりましたよ。これもOJTというんですかね。この業務について土木学会の全国大会で発表したときに、優秀講演者表彰をいただくこともできました。
この橋梁については、幸いにして凍結にはなりませんでした。住民と話し合い、計画をシェイプアップしたのが良かったと思っています。たぶん、もう完成しているはずですから、一度渡りにいかないといけませんね。
帰国後の楽しみにしておきます。
Comment by イマジン @ 2008/06/20 6:42 AM
「目的意識」・・そういわれると、実は多分に後付け的ですね。後になって「あぁそうだったんだなぁ」っていう程度です。
さて、イマジンさんの次の著作で期待するもの・・それは、受験本から少し離れて、そうですねぇ・・「技術士受験を通した人生感(?)」っていうようなものでしょうか。まだ、そこまでのお年とは思いません(笑)が、お聞きしたい内容ですね。
コラムにある「中国史書」の内容を発展させたようなものかもしれません。イマジンさんは乗せられ易い方のようですので・・気長に、楽しみにお待ちします。kmatsu
Comment by kmatsu @ 2008/06/21 10:18 AM
あと30年くらいしたら、自分の人生を振り返ってみようかな。
今は多少暴走してもいい経験になるだろうと思っていますので。
Comment by イマジン @ 2008/06/21 7:28 PM
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