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イスタンブール紀行

飛んでイスタンブ〜ル♪
1年ぶりのアップです。

ずっと行ってみたいと思っていたイスタンブールについに行ってきました。
行きたいと思った理由は・・・たくさんあるので、写真を紹介しながら書いていこうと思います。


日本を朝出て、イスタンブールのホテルに到着したのは夜でした。
私の見たいものは旧市街に集中していたので、旧市街のホテルを取りました。
翌朝、ホテルを出てトラムに沿って歩いて行きました。
モダンなデザインのトラムに、イスラム建築のモスクとミナレット(鉛筆みたいな尖塔)。
こういうミスマッチな感じというか、エキゾチックな感じがこの街に来たいと思った理由の1つでした。


こちらはゴミ箱。
鉄板の台と上に突き出た鉄の棒は、ゴミの回収の仕方に関係があるように思いますが、どうやって回収しているんでしょうね。残念ながら、回収しているところを見かけることはありませんでした。
周囲の路面はかなり破損が多いですね。


こちらはゴミ箱の向こうに見えていた公衆電話。
電話ボックスではなく、オープンなんですね。6つも並べるほど利用者がいるんでしょうか。携帯電話の普及率が低いんでしょうか。


トラム沿いを歩いていくと右手にブルーモスクが見えてきました。
大きな噴水とその周りに描かれた絵がまたエキゾチックでした。


ブルーモスクは明日のためにおいといて、トプカプ宮殿の方へ向かいました。
こちらは、絨毯屋さんと後ろに見える建物は、アヤソフィアの外壁とミナレットです。


アヤソフィアも明日のためにおいといて、トプカプ宮殿に向かいました。
こちらは、外側の城壁の入口「皇帝の門」。
東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの城だった場所がここなんですね。
塩野七生さんの小説「コンスタンティノープルの陥落」を読んでから、一度はここに来たいと思っていました。


こちらは小説「コンスタンティノープルの陥落」の表紙です。
1000年以上続いた東ローマ帝国の都が1453年5月29日に陥落するときを描いた史実に基づいた物語です。
手前はヨーロッパ側(北側)に構えた21歳のオスマントルコ皇帝マホメット2世の本陣です。上側の海の対岸に見えるのはアジア大陸です。
三角形の城壁に囲まれたところが最後のローマ皇帝コンスタンティヌス11世が籠城するコンスタンティノープルの城です。
左は金角湾、上はボスポラス海峡、右はマルマラ海と三方を海に囲まれた難攻不落の城です。マホメット2世の前にもオスマントルコには2度の包囲を受けていますが、いずれも守り抜いてきました。
金角湾の入口(今のガラタ橋)はローマ側ががっちりと守りを固めていますが、マホメット2世はボスポラス海峡側(「塩野七生」という字のすぐ下のところ)から何との70隻の船を山を越えて運んで金角湾内に持ち込み、金角湾内の制海権を奪取するという奇襲を成功させます。
さらには当時の新兵器でハンガリーの大砲職人が開発した巨大な大砲を初めて実戦で使用し、0.5トンもある砲弾で難攻不落と言われたコンスタンティノープルの城壁の一部を破壊しました。その後は後退する奴隷兵はトルコ正規兵が惨殺するという絶対に撤退を許さない無慈悲な突入などの力攻めで城内に突入し、ついに陥落させたという戦争です。戦闘時には残忍な戦法を取ったマホメット2世ですが、ローマ皇帝を倒した後はキリスト教を認めるという寛容さも示しています。
マホメット2世は、征服王とも呼ばれ、欧米ではマケドニアのアレクサンドロス大王と比べられることが多いそうです。
しかし、私には・・・奇抜な作戦、新兵器の使用、無慈悲さと異教徒への寛容さ、49歳での突然の死など、あまりに織田信長にそっくりなことに驚いています。


皇帝の門をくぐって、こんな庭園の中を歩いていきます。


チケット売り場の前は行列ができていました。
日本人もたくさんいました。


こちらは表敬の門。カッコイイですね。ここからがトプカプ宮殿です。


表敬の門に近づくと、何やらアラビア語が書いてありました。
何と書いてあるのかわかりませんが、ここでは罪人の処刑が行われたそうです。


入ってみると、トプカプ宮殿の庭園と外側の城壁までの模型がありました。
上側がボスポラス海峡で、左側が金角湾です。


その隣にはトプカプ宮殿の模型がありました。
右側が表敬の門で、尖塔のたくさん立っているところがハーレムです。


こちらはハーレムの中です。
いかにもイスラムですねえ。
スペインのアルハンブラ宮殿によく似ています。


こちらはハーレムの中庭です。


こちらは足しか見えませんが、装飾品の修復をしていた方です。


ハーレムの一室の天井。
幾何学模様のようなところにアラビア文字が書いてありますね。


何だかわかりませんが、金ピカなのでスルタン(王)が使ったものなんでしょう。


ここはスルタンの大広間・・・だったかなあ。
ステンドグラスがとても綺麗な部屋でした。


ハーレムの見学を終えて宮殿内の中庭に出てみました。
ハーレムの次に行ったのは、刀とか宝飾品が展示されているところでした。
ここで思いがけないものを発見しました。
内部は撮影禁止だったのでご紹介できないのが残念ですが、モーゼの杖が展示してありました。紀元前13世紀だと書いてありました。
この頃ちょうど紀元前13世紀の古代エジプトの「ラムセス大王(全五巻)」を読んでいて、ラムセスの友人でヘブライ人のモーゼがエジプトを脱してヘブライ人の国を探し求めるくだりがありましたので、何かとても興奮しました。そう、十戒のモーゼです。
でも、なぜモーゼの杖がイスタンブールにあるんでしょうね。
ガイドブックには何も書かれていませんでした。


その後、トプカプ宮殿内のレストランに行きました。
この店はとても高かったけど、眺めが最高でした。
左奥に見えているのが、第一ボスポラス大橋です。

トプカプ宮殿の見学を終えて、次は同じ城壁内にある考古学博物館と古代東方博物館へ行く予定でした。
そこには、アレクサンドロス大王の石棺と、カデシュ条約の粘土版があって、ピリーレイスの地図もあるかもしれない・・・はずでした。
私はこれらをとても楽しみにしていました。

アレクサンドロス大王の石棺は、本物かどうかはわかっていないそうですが、世界で最も有名な人物の一人ですのでちょっと見たかったです。

カデシュ条約は人類最古の平和条約が記されたもので、紀元前1269年にエジプトのラムセス大王と、ヒッタイトのハットゥシリ大王が結んだ平和条約です。
ドイツ人の考古学者がハットゥシャシュ(ヒッタイトの首都)でこの粘土版を発見し、ここに書かれていたものと同じ内容(別の言語)を彼が以前にエジプト・ルクソールのカルナック神殿の壁で目にしていたことを思い出し、最古の平和条約があったことがわかったというエピソードをどこかで読んだことがありました。

ピリーレイスの地図はオカルトというか、オーパーツっていうやつですね。
マホメット2世の少し後の16世紀前半に活躍したオスマントルコのピリー提督が複写した地図で、南極大陸の海岸線や現在では消滅してしまった島までが正確に描かれていたというものです。南極大陸の発見は1818年でそれよりはるか昔に南極大陸の地図があったって話です。
ピリー提督はアレクサンドロス大王の地図を写したということで、アレクサンドロス大王が東方遠征をおこなった紀元前4世紀には南極大陸はこんな地形だったんだとか、この消滅した島が伝説のあの大陸では、とか、当時は高度な測量技術があったんだとか、いろんな夢のある話が語られています。この地図が発見されたのがトプカプ宮殿だったので、考古学博物館にあるんじゃないかなって期待していたんです。

はずでした。と書いたのは、トプカプ宮殿を出たところで、日本語の上手なトルコ人が話しかけてきて、この日はトプカプ宮殿以外はみんな休館日だから考古学博物館も休館だと教えてもらったことから始まりました。
翌日、再びトプカプ宮殿の方へ向かうと、日本語の上手なとても親切なロックマンさんというトルコ人に会いました。素晴らしい人でしたが、衝撃的な事実を教えられました。昨日休みだったのはトプカプ宮殿だけで、考古学博物館が休みなのは今日だと教えてもらいました。信じたくなかったので、皇帝の門まで行くと、やはり閉まっていました・・・
この旅行でイスタンブール滞在はこの日までだったので、大王の石棺とカデシュの粘土版とレイスの地図にはお目にかかることができませんでした。残念。でも、ロックマンさんとの出会いはよい思い出になりました。
イマジン * ヨーロッパの風景 * 21:56 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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