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英独旅行その6

今回は、ピーターラビット作者ビアトリクス・ポターの家があるヒルトップへのフットパスを紹介します。


ビアトリクス・ポターの家は、ウィンダーミア湖の西側にあり、ウィンダーミアの街は東岸にありますから、まずは対岸にわたるフェリーに乗るため、フェリー乗り場目指して歩きました。
その途中、湖岸のお店でソフトクリームを食べました。
ロンドンでもソフトクリームを食べましたが、ウィンダーミアのソフトクリームも同じで、ソフトクリームにチョコレートのお菓子が突き刺してありました。
これがイギリスのソフトクリームの標準なんですかね。


こちらはフェリー乗り場です。
歩行者は一人0.5ポンドでした。


対岸に渡ると、ヒルトップへ行くフットパスの標識がありました。
ちょっと文字が小さくて見えにくいですが、日本語でも書いてありました。


このあたりのフットパスでは、こんな大木が倒れている光景をたくさん目にしました。
大丈夫なんでしょうか。


こんな綺麗な花が植えてあるところもありました。
ここで休憩して、持ってきたサンドウィッチを食べました。


こちらは、もうだいぶヒルトップに近いところです。
最後はこんな広い草原の中に真っすぐ伸びるフットパスを進みます。


こちらはピーターラビットの作者ビアトリクス・ポターが暮らしていた家のチケット売り場案内板です。


ここで大雨が降ってきたので、チケット売り場の隣の喫茶店で雨宿りしました。
この喫茶店からの眺めはとても素晴らしかったです。


こちらがポターの暮らした家です。


こちらはポターの菜園です。
とても小さな菜園でした。


ここでまた大雨が降ってきました。
ポターの家の向かい側の牧場を見ると、羊たちが石の壁のそばに寄り添って雨宿りしていました。

翌日、とてもよくしてくれた宿のオーナーにお礼を行ってから、ウィンダーミアを発ち、小説「嵐が丘」の作者エミリー・ブロンテが生まれ暮らした街、ハワースに立ち寄ってから、マンチェスター空港に行き、デュッセルドルフに飛びました。

ハワースにはブロンテ姉妹の博物館などがあります。一番有名なエミリーは三姉妹の真ん中で、29歳で嵐が丘を書き、30歳で結核を患って亡くなっています。
嵐が丘は復讐劇のちょっと恐ろしい作品ですが、ブロンテ一家はまるで呪われたような運命だったようです。
ブロンテ三姉妹は実は女5人男1人の6人兄弟で、そのブロンテ一家がハワースに来たのが1820年でしたが、翌年に6人の母が癌と結核で死亡し、24年には同じく結核で長女と次女が死亡したそうです。一人息子のため父親から溺愛されたブランウェル(エミリーの1歳上の兄)は、47年に過度の飲酒が原因で31歳で亡くなり、同じ年にエミリーが30歳が亡くなり、翌年に妹のアンも亡くなり、54年に結婚したシャーロット(三女、エミリーの2歳上の姉)も翌年妊娠中毒症のため38歳で亡くなり、最後に残ったのは牧師の父だけだったそうです。まるで呪われたような一家ですね。
イマジン * ヨーロッパの風景 * 12:45 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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