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バルセロナ紀行

3年ぶりにバルセロナにやって来ました。
今までサグラダファミリアのチケットが予約できることを知らなかったのですが、今回はしっかり予約していきました。
それから、もうひとつの目的はFCバルセロナに移籍したネイマールの試合を見たいと思ったからなんですが、リーガエスパニョーラの試合日の発表は1週間前くらいにならないとしてくれないので、事前に試合日を確認できず、この日に試合があるように祈っていたのですが、残念ながら試合日はずれてしまいました。


朝ホテルを出ると真っすぐにサグラダファミリアに向かいました。
前に来た時には4つくらい工事用のタワークレーンがありましたが、2つだけになっていました。
この日も晴天、この旅行中は本当によく晴れました。


開門の少し前に到着し、受難のファサードの前にできていた予約者用の列に並びました。
門柱には「1882」という着工年が刻まれていました。


こちらはガウディがサグラダファミリア内に作った学校です。
職人さんたちが安心して仕事に打ち込めるように仕事場に学校を作ったんだそうです。


こちらはその学校を裏側から見たところです。


受難のファサード側の入口を入ったところで、こんなパズルを見つけました。
縦、横、斜め、どの列も足し合わせると33になります。


予約していた朝一のエレベータですぐにタワーに上がりました。
タワーの上ではこんな隙間から街を見下ろすことができました。


タワーのてっぺんはまだあんなに上に見えました。
ここからは説明を省いて、ガウディの情熱と魂と、それらを引き継いだ人たちの仕事を見ていきましょう。




















ここに立った時、ヨーロッパの教会には飽きていてあまり乗り気でなかった次男が、
「世界中からこの教会を見に来る人の気持ちがわかった。
 今まで見た中で一番すごい」
っていいました。








































こちらは生誕のファサード、ガウディが生前に完成させた唯一のファサードで、日本人彫刻家の外尾さんが責任者として修復を行ったというファサードです。




こちらは、外尾さんが周りを押し切って弦をなくしたというハープを弾く女性像です。








サグラダファミリアを出てから、もう一度その姿をふり返って見てみました。
10年くらいしたら、再びここに来たいと思いました。


サグラダファミリアを出た後は、3年前と同じ道を歩いて、バルセロナの素晴らしい街並みと建築を楽しみました。










この日はFCバルセロナの試合日ではありませんでしたが、買い物をするためにカンプノウに行きました。


ネイマールのユニフォームを手に入れて、子どもたちはご満悦でした。
今回の旅行はこのバルセロナが最後で、翌日の飛行機で帰国しました。
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カッパドキア紀行

カッパドキア4日目。
大変親切にしていただいたアイハンさん一家ともこの日でお別れです。


朝、折り鶴をプレゼントすると、アイハンさんの奥さん(一番右)から折り方を教えてと言われたので、子どもたちが先生になって、奥さんと奥さんの妹さん(右から2番目)に、折り鶴、ヤッコさん、だまし舟、手裏剣など、子どもたちが知っている折り紙を一生懸命教えていました。


3泊したアイハンさんのホテルをチェックアウトすると、カーナビにゼルヴェ野外博物館の座標をセットして出発。
すると、カーナビはこんな道を行けと・・・
これはないですよね。
でもこの場所は、オルタヒサルという観光スポットで、素晴らしい景観の場所でした。


オルタヒサルからの絶景!
このルートではゼルヴェには行けないので、少し引き返して、ギョレメを通るルートでゼルヴェに行くことにしました。


ギョレメは通過するだけと思っていたのですが、奇岩の迫力が凄かったので、ちょっと寄ってみることにしました。
日本人観光客が多いんでしょうね。
トルコアイスのお店には「のび〜るアイスクリーム」って書いてありました。


土産屋さんの屋台が並んでいるところを歩いていくと、こんなポテトチップ屋さんがありました。
じゃかいも丸々一個をらせん状にカットして串に刺して揚げていました。


らくだもいました。


ギョレメはこんな岩窟住居、岩窟教会がたくさんありました。


ギョレメを出て、再びゼルヴェを目指して行くと、こんな奇岩が出てきたので、またちょっと立ち寄ってみることにしました。ここはパシャバーというところで、ここも有名な観光スポットでした。


このあたりのキノコ岩は頭の高さが綺麗に揃っていますね。
奇岩であり、地層であり、住居でありって、やはり不思議な風景です。


パシャバーを出ると、すぐにゼルヴェに着きました。


ゼルヴェはミュージアムパスが使えたので、ここでようやくこのパスの元を取れました。
野外博物館の中に入ると、こんな案内を辿って進んでいきます。


こちらは馬に引かせる石臼です。
円い石の真ん中に丸太を通して、馬二頭にここをぐるぐる回らせるんですね。


こちらは教会。


こんな階段を上っていくと、次々に岩窟教会や住居が出てきます。


ゼルヴェはとても広くてまだまだ先があったんですが、飛行機の時間が心配だったので、手前の1kmほどを歩いただけで引き上げました。
このあと、カイセリ空港でレンタカーを返して、飛行機でバルセロナに飛びました。


バルセロナに到着したのは深夜零時。
ヘトヘトでしたが、とても広い部屋でいいホテルだったので、とてもホッとしました。
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カッパドキア紀行

今日はカッパドキアでとても残念な事件がおきました。
本当に残念です。
不幸な事件に遭遇し命を奪われた方には心からご冥福をお祈りいたします。
重体となっている方には一日も早い回復をお祈りいたします。

私はこのカッパドキアでは現地の方にとても親切にしていただきました。本当に残念な事件です。
不謹慎かもしれませんが、気を取り直して、カッパドキアの良いところを紹介をしたいと思います。


3日目の朝食です。
毎朝、新鮮な野菜を出していただきました。
カッパドキアでは、トマトとキュウリがとても美味しいということを知りました。


この日はまずローズヴァレーに行きました。
朝ではなく、夕方に来ると岩肌が赤く染まってバラのように見えるそうですが、朝から来てしまいました。
ここで畑仕事をしている二人のおばあさんに逢いました。
とても明るいおばあさんたちで、袋一杯にぶどうとリンゴを詰めて私たちにくれました。


ローズヴァレーを見た後は、近くの岩窟教会に行きました。


部屋と部屋の間はこんな通路を通っていきます。


するとこんな一見、分かれ道のようなものがありました。
でもこれは分かれ道ではなく、内側からしか開閉できない巨石の扉なんです。


内側から見るとこうなっています。左側に見える縦長の穴が通路で、右側に見える円い巨石が扉です。
これをゴロゴロっと転がして通路塞ぎ、つっかえ棒で巨石を固定すると、外からは開けられなくなります。


この岩窟教会は電気が設置されていなくて、奥の方の部屋は真っ暗だったので怖かったです。
こんな明るい部屋が先に見えるととてもホッとしました。


岩窟教会を出た後、小さい丘に上がってみました。
すると、隣の丘にゴリラ岩を発見しました。
ガイドブックには出ていなかったので、私が勝手に命名しました。


次に向かったのは、車で1時間ちょっと走って、ウフララ渓谷というところです。
こちらはウフララ渓谷のレストラン。
大きなレストランだったので、団体ツアーが次々にやってきていました。


レストランのすぐ横には小川が流れていました。
この川がウフララ渓谷の川です。
川自体はとても小さいのですが、よく考えるとカッパドキアって川がないんです。
全然ないです。
私が見たのはこの川だけです。
カッパドキアの岩は石灰質なので、水はすぐに浸透してしまうためだと思います。


こんな岩をくりぬいたトンネルもありました。
この岩を見てもやっぱりここの岩は石灰質ではなく、かなり硬そうないわゆる普通の岩のようでした。


渓谷にいる時は気がつかなかったのですが、帰りにちょっと車を停めて上から渓谷を見ると、こんな風になっていました。
ウフララ渓谷と言うところは、ここだけがこんな風に100mはある崖の下にあったんですね。


その近くでこんな家畜用の水飲み場を見かけました。


ウフララ渓谷からの帰りは、カーナビがとんでもない狭い道を案内して泣きそうでしたが、その時にこんなヒマワリを見つけて元気をもらいました。
途中、川なのか道なのかわからないようなとんでもない区間が数10mあって、土の盛り上がっているところにタイヤを通しながら何とか突破しました。
妻には運転うまくなったねって褒められました。


ウフララから戻った後は、イマジネーションの谷にやってきました。
いろいろな形をした岩があるのでこんな名前がついているそうです。
ガイドブックには見事なラクダの形をした岩が紹介されていたので、ぜひこれを見つけてみようと思って探してみました。


しかし・・・ガイドブックに紹介されていたラクダ岩は見つけられませんでした。
でも、その代わりにまた違うポーズのラクダ岩を見つけました。
これでいいことにして、ホテルに引き上げました。
イマジン * ヨーロッパの風景 * 01:20 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

カッパドキア紀行

いよいよこの日はカッパドキア観光です。


ホテルの部屋を出るとこんな風景でした。
前日はホテルに到着したのが夜だったので周りの風景はよくわかりませんでしたが、ユルギュップの街はこんな盆地状のところにあって、ホテルの周りにはツアー会社がたくさんありました。


ホテルの朝食です。
パンに3種のジャム、バター、2種のチーズ、ハム、トマトサラダ、ヨーグルト、ぶどう、みんな美味しかったのですが、オリーブだけは・・・オリーブは苦手です。


この日はまずデリンクユの地下都市に向かいました。
レンタカーで真っすぐに向かったのですが、入口にはすでに行列ができていました。
日本人もたくさんいました。


72時間有効のミュージアムパスを買いました。
最終的には元は取れましたが、意外にミュージアムが少ないため、このカードを使えたのはほかに1カ所だけでした。


カッパドキアには150〜200も地下都市があると言われています。
デリンクユは地下85mまでの深さに地下8階、最大収容人数4万人と言われる地下都市で、現在約10%が公開されています。
地下の各部屋はこんな階段や通路で繋がっており、内側からしか開閉できない巨石の扉で外敵の侵入を防げるようになっています。


こちらは地下通路で、分かりにくいですが右側は部屋になっています。


こちらも地下の部屋です。
石灰質の岩で切削がしやすいようです。


こちらは通気口です。写真は上を向いているので、見えているのは空ですが、下は井戸になっていて地下水をくみ上げられるようになっています。


デリンクユ地下都市を出た後は、ウチヒサル砦に向かいました。
岩山を掘って砦にしたものです。


ウチヒサルのレストランで昼食を食べました。
真ん中にあるのは、カッパドキア地方名物の壺ケバブです。
写真の壺は割った後ですが、この2倍の高さの壺で出てきて、店の人が目の前で割ってくれます。
とても美味しかったです。


こちらはウチヒサル砦の最初の部屋です。
大きく掘った後、内側にアーチを設置して補強しているんですね。


こんな外の岩場に設けた階段を上って頂上まで行きます。


やっとの思いで頂上まで登るとこんな絶景が待っていました。


ウチヒサルの頂上にはこんな人の顔のような岩もありました。


この日は、地下都市と岩山で登ったり降りたりし過ぎてとても疲れたので、早々にホテルに引き上げました。
帰りにギョレメを通りました。
たけのこの里のような岩がたくさんありました。


夕食はユルギュップのレストランで食べました。
日暮れのユルギュップの街も幻想的で綺麗でした。
イマジン * ヨーロッパの風景 * 23:10 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

カッパドキア紀行

カイセリ空港に到着し、レンタカーを借りてカッパドキアのユルギュップという町に移動しました。
マニュアルミッションの車しかなかったのがちょっと心配でしたが、意外に運転しやすかったというか、運転を楽しめました。
あ、そうそう、カーナビはTomTomでした。キヨシくん(日本語音声)をリクエストしたのですが、キヨシくんがインストールされていなかったので、仕方なく英語音声で使いました。


ホテルの住所にあった通り名がTomTomでは出て来なくて、ホテルのすぐ近くまで行ってから細い路地で迷いましたが、とても親切なトルコ人の家族に道を教えていただき、何とかホテルに到着しました。
予約していたのは洞窟ホテル。カッパドキアには洞窟ホテルがたくさんあります。
到着したら、御主人のアイハンさんの一家が暖かく出迎えてくれました。
家族経営のアットホームなホテルでした。


扉を開けると、こんな部屋が、わお!
結構広いです。
手前がリビング。とてもオシャレです。
左側の木の扉がトイレ兼シャワー室、アーチ状のゲートの向こうが第一寝室で、その奥に第二寝室もありました。


アーチ状のゲートのところから入口の方をみるとこんな感じ。
とてもオシャレなリビングルームです。


こちらは第一寝室。
石灰質の岩盤を掘ったまんまの部屋です。
左側に見えるのはハイツング(暖房)です。
一年中ひんやりしているので暖房が必要なんです。


第一寝室の奥にはさらに岩をくり抜いてあって第二寝室に繋がっていました。


こちらは第二寝室。
ここも掘りっぱなしの岩盤の中の部屋です。
子どもたちは子ども部屋と名付けて早速大暴れ!


第二寝室から見るとこんな感じです。


こちらはシャワールームの入口。


中はこんな感じ。
素晴らしいホテルでした。
Ayhan Mansion Arch Cave Hotelというホテルです。
http://www.ayhanmansion.com/

イマジン * ヨーロッパの風景 * 23:24 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

イスタンブール紀行

イスタンブール2日目は、前日に行かなかったブルーモスクとアヤソフィアに行こうと決めていました。


ホテルはブルーモスクに近かったので、歩いて行くことにしました。
こちらはブルーモスクの隣に立つテオドシウス一世のオベリスクです。
ローマ皇帝テオドシウス一世が戦勝記念としてエジプト・ルクソールのカルナック神殿から持ち帰ったものだそうです。


オベリスクの台座には皇帝が勝者に月桂冠を与える場面が描かれているそうです。


こちらはブルーモスクの中庭の入口です。
中庭を取り囲むこの壁もとても美しいです。


この入口に立つと、中庭越しにブルーモスクがこんな風に見えました。


中庭にはブルーモスクの模型がありました。
ミナレット(鉛筆尖塔)が6本立っているモスクと言うのは珍しい(というかたぶんここだけ)のですが、これはスルタンが「金色(アルトゥン)に」と言ったのを家臣が「6本(アルトゥ)に」と聞き間違えたためだそうです。
で、聞き間違えだとわかっても金色にはしなかったみたいですね。


私はこの中庭をとても気に入りました。ヨーロッパ風でありながら、やっぱりイスラムという雰囲気がとてもいいです。


靴を脱いで中に入ると人で一杯でした。


とても天井が高く装飾が繊細でした。


菩提樹のようなとても大きな柱があり、何かエネルギーを与えているようでした。


この柱の裏側にはこんな看板が立っていました。
モスクと言うのは日常的な祈りの場なんですね。観光地と思っていてはいけませんね。


こんなふうに掃除している人がいました。
このあと何か祈りの時間か何かがあるんでしょうね。


しばらくしてからブルーモスクを出ました。
ふり返ると、こんな美しい姿をしていました。


トルコアイスと撮ってみました。
このあとアヤソフィアの入口の近くで、とても親切なトルコ人のロックマンさんに会いました。
アヤソフィアの入口には長蛇の列ができていて、この時間は一番混んでいるからアヤソフィアはもう少し後にした方がいいと教えてもらいました。
それから、お勧めのポイントをいくつか教えてもらいました。


こちらはロックマンさんお勧めの場所、セブンヒルズというホテルの屋上レストランです。
このレストランはとても高いので、お茶をしに行くといいですよ、眺めが最高ですからって勧められました。
確かに最高の眺めです!
ちなみに、メニューを見ると料理はだいたい2000円前後で高かったですが、コーヒーやジュースは200〜500円でたしかに許容できる値段でした。


こちらはこのあと行こうと思っていたアヤソフィア。
その右に見えるがトプカプ宮殿の皇帝の門です。
手前のところは何やら発掘調査をしているようでした。


こちらはボスポラス海峡です。対岸はアジア大陸です。


こちらはここで頼んだチャイとトルココーヒーです。
美味しかったです。


セブンヒルズでお茶をしてからアヤソフィアに戻ると行列が少し短くなっていました。


こちらがアヤソフィアの建物の入口。


中に入るとすぐにキリストのモザイクがありました。
アヤソフィアは、ローマが作ったキリスト教の教会を、オスマントルコがイスラム教のモスクに改装したものです。
キリストのモザイクがこれほどきれいに残っているのは、マホメット2世の慈悲のためかもしれません。


中に入ると修復工事をしていました。
天井が高いです。


二階に上がると回廊がとても明るかったです。


二階にはこんなキリストのモザイクがありました。
下の方がだいぶ傷んでいますが、キリストの上半身がこんなにきれいに残っているってすごいですね。


有名なグランドバザールには行く予定はなかったんですが、ロックマンさんが小さいけど伝統のある小さなバザールがあるよって教えてくれた場所に行きました。
こちらはブルーモスクの横にあるアラスタバザールという小さなバザールです。
バザールの雰囲気だけを味わいたいという人にはちょうどいいです。


この後、国内線でカイセリに飛んでカッパドキアに移動しました。
飛行機からは縞模様の農地が見えました。何でこういう模様になっているんですかね。

次回は、カッパドキアをご紹介します。
イマジン * ヨーロッパの風景 * 23:03 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

イスタンブール紀行

トプカプ宮殿を出たところで出会った日本語を話すトルコ人に、この日はトプカプ宮殿以外はどこも休館だと聞いたので、ボスポラス海峡クルーズに行こうと決めました。


金角湾の入口に架かるガラタ橋の手前にある船着き場の方に向かって旧市街を歩いてくと、こんな看板の工事現場を発見しました。
「地図に残る仕事。」って私の好きなフレーズですが、ここイスタンブールで日本語で看板挙げても現地の人には読めないでしょうね。
ここは10月に開通予定のボスポラス海峡トンネルの工事現場です。
工事をしているのは日本企業の大成建設。凄いですね。
技術で世界に貢献する。これは日本にとってとても大事なことだと思います。


こんな看板も見つけました。
JICA(ジャイカ)の仕事なんですね。
ボスポラス海峡トンネルのルートが出ています。
これが開通すると、地下鉄ですぐにボスポラス海峡を渡れるようになるんですね。


船着き場はとても賑わっていました。
左奥に見えるのは、イェニジャーミィというモスクです。


たくさんのフェリーが行き来していました。
向こうに見えている橋がガラタ橋です。
有名なサバサンドを買ってから、フェリーのチケット売り場に行きました。
ちなみに、女子バレーのキャプテン木村沙織選手が所属しているガタラサライというチームは、ここイスタンブールのチームです。このガラタ橋を渡ったところがガラタサライと言う地区ですね。


フェリーのチケット買って、早速乗り込みました。
1階と2階は売店があるだけで、ほとんど人はいませんでした。


やっぱり屋上が一番人気でした。


出航して少し行くと、第一ボスポラス大橋に着きました。
この橋の下を通って、さらに黒海の方へ進んでいきます。


しばらく行くと、ルメリヒサル要塞と第二ボスポラス大橋が見えてきました。


こちらがルメリヒサル要塞。
この要塞はヨーロッパ側に築かれています。征服王マホメット2世がコンスタンティノープル攻略の前線基地とし、またボスポラス海峡の制海権を押さえるために築いたという要塞です。東側でまず海峡の両岸を押さえて、ここから西進していたんですね。


こちらは第二ボスポラス大橋。正式名称は征服王スルタン・マホメット大橋と言います。そうです。マホメット2世のことです。この橋を建設したのも日本企業です。
ボスポラス海峡を横断する2本の橋と1本のトンネルのうち2つが日本企業によるものなんです。
話をしたこともない雲の上の人でしたので、元上司という表現が適切かわかりませんが、この橋の設計責任者だった方は、私と同じ会社にいました。橋梁技術者として世界中を飛び回っているとても華のある方でした。わかる人にはわかると思いますが、あまりにも華やか過ぎたのでしょう。狭量な人の妬みとしか思えない不幸なトラブルもありましたね。


第二大橋の少し先で旋回して戻ってきました。
こちらは第一大橋のアジア側の側径間です。
橋脚がとても細く見えますね。
細長比は一体いくつなんだろう。たぶん、日本の道路橋示方書では細長比の規定に引っ掛かって、この細さにはできないように思いました。


ガラタ橋の船着き場に戻ってからは、旧市街を散策しました。
すると、二宮金次郎のような銅像を見つけました。あ、でも本読んでないか。

イマジン * ヨーロッパの風景 * 22:41 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

イスタンブール紀行

飛んでイスタンブ〜ル♪
1年ぶりのアップです。

ずっと行ってみたいと思っていたイスタンブールについに行ってきました。
行きたいと思った理由は・・・たくさんあるので、写真を紹介しながら書いていこうと思います。


日本を朝出て、イスタンブールのホテルに到着したのは夜でした。
私の見たいものは旧市街に集中していたので、旧市街のホテルを取りました。
翌朝、ホテルを出てトラムに沿って歩いて行きました。
モダンなデザインのトラムに、イスラム建築のモスクとミナレット(鉛筆みたいな尖塔)。
こういうミスマッチな感じというか、エキゾチックな感じがこの街に来たいと思った理由の1つでした。


こちらはゴミ箱。
鉄板の台と上に突き出た鉄の棒は、ゴミの回収の仕方に関係があるように思いますが、どうやって回収しているんでしょうね。残念ながら、回収しているところを見かけることはありませんでした。
周囲の路面はかなり破損が多いですね。


こちらはゴミ箱の向こうに見えていた公衆電話。
電話ボックスではなく、オープンなんですね。6つも並べるほど利用者がいるんでしょうか。携帯電話の普及率が低いんでしょうか。


トラム沿いを歩いていくと右手にブルーモスクが見えてきました。
大きな噴水とその周りに描かれた絵がまたエキゾチックでした。


ブルーモスクは明日のためにおいといて、トプカプ宮殿の方へ向かいました。
こちらは、絨毯屋さんと後ろに見える建物は、アヤソフィアの外壁とミナレットです。


アヤソフィアも明日のためにおいといて、トプカプ宮殿に向かいました。
こちらは、外側の城壁の入口「皇帝の門」。
東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの城だった場所がここなんですね。
塩野七生さんの小説「コンスタンティノープルの陥落」を読んでから、一度はここに来たいと思っていました。


こちらは小説「コンスタンティノープルの陥落」の表紙です。
1000年以上続いた東ローマ帝国の都が1453年5月29日に陥落するときを描いた史実に基づいた物語です。
手前はヨーロッパ側(北側)に構えた21歳のオスマントルコ皇帝マホメット2世の本陣です。上側の海の対岸に見えるのはアジア大陸です。
三角形の城壁に囲まれたところが最後のローマ皇帝コンスタンティヌス11世が籠城するコンスタンティノープルの城です。
左は金角湾、上はボスポラス海峡、右はマルマラ海と三方を海に囲まれた難攻不落の城です。マホメット2世の前にもオスマントルコには2度の包囲を受けていますが、いずれも守り抜いてきました。
金角湾の入口(今のガラタ橋)はローマ側ががっちりと守りを固めていますが、マホメット2世はボスポラス海峡側(「塩野七生」という字のすぐ下のところ)から何との70隻の船を山を越えて運んで金角湾内に持ち込み、金角湾内の制海権を奪取するという奇襲を成功させます。
さらには当時の新兵器でハンガリーの大砲職人が開発した巨大な大砲を初めて実戦で使用し、0.5トンもある砲弾で難攻不落と言われたコンスタンティノープルの城壁の一部を破壊しました。その後は後退する奴隷兵はトルコ正規兵が惨殺するという絶対に撤退を許さない無慈悲な突入などの力攻めで城内に突入し、ついに陥落させたという戦争です。戦闘時には残忍な戦法を取ったマホメット2世ですが、ローマ皇帝を倒した後はキリスト教を認めるという寛容さも示しています。
マホメット2世は、征服王とも呼ばれ、欧米ではマケドニアのアレクサンドロス大王と比べられることが多いそうです。
しかし、私には・・・奇抜な作戦、新兵器の使用、無慈悲さと異教徒への寛容さ、49歳での突然の死など、あまりに織田信長にそっくりなことに驚いています。


皇帝の門をくぐって、こんな庭園の中を歩いていきます。


チケット売り場の前は行列ができていました。
日本人もたくさんいました。


こちらは表敬の門。カッコイイですね。ここからがトプカプ宮殿です。


表敬の門に近づくと、何やらアラビア語が書いてありました。
何と書いてあるのかわかりませんが、ここでは罪人の処刑が行われたそうです。


入ってみると、トプカプ宮殿の庭園と外側の城壁までの模型がありました。
上側がボスポラス海峡で、左側が金角湾です。


その隣にはトプカプ宮殿の模型がありました。
右側が表敬の門で、尖塔のたくさん立っているところがハーレムです。


こちらはハーレムの中です。
いかにもイスラムですねえ。
スペインのアルハンブラ宮殿によく似ています。


こちらはハーレムの中庭です。


こちらは足しか見えませんが、装飾品の修復をしていた方です。


ハーレムの一室の天井。
幾何学模様のようなところにアラビア文字が書いてありますね。


何だかわかりませんが、金ピカなのでスルタン(王)が使ったものなんでしょう。


ここはスルタンの大広間・・・だったかなあ。
ステンドグラスがとても綺麗な部屋でした。


ハーレムの見学を終えて宮殿内の中庭に出てみました。
ハーレムの次に行ったのは、刀とか宝飾品が展示されているところでした。
ここで思いがけないものを発見しました。
内部は撮影禁止だったのでご紹介できないのが残念ですが、モーゼの杖が展示してありました。紀元前13世紀だと書いてありました。
この頃ちょうど紀元前13世紀の古代エジプトの「ラムセス大王(全五巻)」を読んでいて、ラムセスの友人でヘブライ人のモーゼがエジプトを脱してヘブライ人の国を探し求めるくだりがありましたので、何かとても興奮しました。そう、十戒のモーゼです。
でも、なぜモーゼの杖がイスタンブールにあるんでしょうね。
ガイドブックには何も書かれていませんでした。


その後、トプカプ宮殿内のレストランに行きました。
この店はとても高かったけど、眺めが最高でした。
左奥に見えているのが、第一ボスポラス大橋です。

トプカプ宮殿の見学を終えて、次は同じ城壁内にある考古学博物館と古代東方博物館へ行く予定でした。
そこには、アレクサンドロス大王の石棺と、カデシュ条約の粘土版があって、ピリーレイスの地図もあるかもしれない・・・はずでした。
私はこれらをとても楽しみにしていました。

アレクサンドロス大王の石棺は、本物かどうかはわかっていないそうですが、世界で最も有名な人物の一人ですのでちょっと見たかったです。

カデシュ条約は人類最古の平和条約が記されたもので、紀元前1269年にエジプトのラムセス大王と、ヒッタイトのハットゥシリ大王が結んだ平和条約です。
ドイツ人の考古学者がハットゥシャシュ(ヒッタイトの首都)でこの粘土版を発見し、ここに書かれていたものと同じ内容(別の言語)を彼が以前にエジプト・ルクソールのカルナック神殿の壁で目にしていたことを思い出し、最古の平和条約があったことがわかったというエピソードをどこかで読んだことがありました。

ピリーレイスの地図はオカルトというか、オーパーツっていうやつですね。
マホメット2世の少し後の16世紀前半に活躍したオスマントルコのピリー提督が複写した地図で、南極大陸の海岸線や現在では消滅してしまった島までが正確に描かれていたというものです。南極大陸の発見は1818年でそれよりはるか昔に南極大陸の地図があったって話です。
ピリー提督はアレクサンドロス大王の地図を写したということで、アレクサンドロス大王が東方遠征をおこなった紀元前4世紀には南極大陸はこんな地形だったんだとか、この消滅した島が伝説のあの大陸では、とか、当時は高度な測量技術があったんだとか、いろんな夢のある話が語られています。この地図が発見されたのがトプカプ宮殿だったので、考古学博物館にあるんじゃないかなって期待していたんです。

はずでした。と書いたのは、トプカプ宮殿を出たところで、日本語の上手なトルコ人が話しかけてきて、この日はトプカプ宮殿以外はみんな休館日だから考古学博物館も休館だと教えてもらったことから始まりました。
翌日、再びトプカプ宮殿の方へ向かうと、日本語の上手なとても親切なロックマンさんというトルコ人に会いました。素晴らしい人でしたが、衝撃的な事実を教えられました。昨日休みだったのはトプカプ宮殿だけで、考古学博物館が休みなのは今日だと教えてもらいました。信じたくなかったので、皇帝の門まで行くと、やはり閉まっていました・・・
この旅行でイスタンブール滞在はこの日までだったので、大王の石棺とカデシュの粘土版とレイスの地図にはお目にかかることができませんでした。残念。でも、ロックマンさんとの出会いはよい思い出になりました。
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英独旅行その6

今回は、ピーターラビット作者ビアトリクス・ポターの家があるヒルトップへのフットパスを紹介します。


ビアトリクス・ポターの家は、ウィンダーミア湖の西側にあり、ウィンダーミアの街は東岸にありますから、まずは対岸にわたるフェリーに乗るため、フェリー乗り場目指して歩きました。
その途中、湖岸のお店でソフトクリームを食べました。
ロンドンでもソフトクリームを食べましたが、ウィンダーミアのソフトクリームも同じで、ソフトクリームにチョコレートのお菓子が突き刺してありました。
これがイギリスのソフトクリームの標準なんですかね。


こちらはフェリー乗り場です。
歩行者は一人0.5ポンドでした。


対岸に渡ると、ヒルトップへ行くフットパスの標識がありました。
ちょっと文字が小さくて見えにくいですが、日本語でも書いてありました。


このあたりのフットパスでは、こんな大木が倒れている光景をたくさん目にしました。
大丈夫なんでしょうか。


こんな綺麗な花が植えてあるところもありました。
ここで休憩して、持ってきたサンドウィッチを食べました。


こちらは、もうだいぶヒルトップに近いところです。
最後はこんな広い草原の中に真っすぐ伸びるフットパスを進みます。


こちらはピーターラビットの作者ビアトリクス・ポターが暮らしていた家のチケット売り場案内板です。


ここで大雨が降ってきたので、チケット売り場の隣の喫茶店で雨宿りしました。
この喫茶店からの眺めはとても素晴らしかったです。


こちらがポターの暮らした家です。


こちらはポターの菜園です。
とても小さな菜園でした。


ここでまた大雨が降ってきました。
ポターの家の向かい側の牧場を見ると、羊たちが石の壁のそばに寄り添って雨宿りしていました。

翌日、とてもよくしてくれた宿のオーナーにお礼を行ってから、ウィンダーミアを発ち、小説「嵐が丘」の作者エミリー・ブロンテが生まれ暮らした街、ハワースに立ち寄ってから、マンチェスター空港に行き、デュッセルドルフに飛びました。

ハワースにはブロンテ姉妹の博物館などがあります。一番有名なエミリーは三姉妹の真ん中で、29歳で嵐が丘を書き、30歳で結核を患って亡くなっています。
嵐が丘は復讐劇のちょっと恐ろしい作品ですが、ブロンテ一家はまるで呪われたような運命だったようです。
ブロンテ三姉妹は実は女5人男1人の6人兄弟で、そのブロンテ一家がハワースに来たのが1820年でしたが、翌年に6人の母が癌と結核で死亡し、24年には同じく結核で長女と次女が死亡したそうです。一人息子のため父親から溺愛されたブランウェル(エミリーの1歳上の兄)は、47年に過度の飲酒が原因で31歳で亡くなり、同じ年にエミリーが30歳が亡くなり、翌年に妹のアンも亡くなり、54年に結婚したシャーロット(三女、エミリーの2歳上の姉)も翌年妊娠中毒症のため38歳で亡くなり、最後に残ったのは牧師の父だけだったそうです。まるで呪われたような一家ですね。
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英独旅行その5

今回はフットパスではなく、湖水地方の街で見かけたものをご紹介します。


こちらは、オーナーに教えてもらったコインランドリーです。
ドイツの洗濯機と似ていて、ドラム式の洗濯機で、乾燥機は別になっていました。
洗濯コースには、30°、60°、95°などがあり、お湯を使って洗濯するというのも、ドイツと似ていました。


こちらはウィンダーミアの街の中にあった看板です。
大きく、アウシュヴィッツからアンブルサイドへと書かれており、下に湖水地方ホロコーストプロジェクトって書いてありました。
アンブルサイドというのは、ウィンダーミアから北に5マイルほどのところにある街で、大きなお店がある中核都市です。
この街でホロコーストに関する活動がされているみたいですね。アウシュヴィッツからって書いてあるので、間違いなくドイツが第二次世界大戦中に行ったホロコーストのことを指していますが、今の時代にイギリスの湖水地方の街で、いったいどんな活動をしているというのでしょうね。


こちらは、アンブルサイドの街で見かけた石橋とその上に建つ建物です。
何のための建物なのかよくわかりませんでしたが、住んでいるようでもなかったので、公民館のような公共施設かもしれません。
ところで、写真には2つの石橋が写っていますが、ここで川を90°曲げていました。
土地のある場所でもこんなことをしているんですね。


こちらは、アンブルサイドで食べたフィッシュ&チップスです。
手前がビッグでたしか6ポンド、右がスモールで4.5ポンドくらいだったと思います。
左と奥はキッズメニューです。
ビッグは食べきれなかったので、ポテトをテイクアウトしました。


こちらは、ウィンダーミアで見かけた時計台です。
けっこう古そうな感じで、およそ2m角の柱状でしたので、例えば、中が公衆トイレになっているみたいな時計以外の目的は何もないようでした。記念碑的なものかもしれません。
周りに家は少ないところに建っているので、誰のための時計台なのか、何のために造ったものなのかよく分かりませんでした。

次回も湖水地方です。
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