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世界最古の懸垂式モノレール

今日は、気温36℃ありました。
たぶん、私がここに来てから最高だと思います。
天気予報では明日以降もとんでもない数字が並んでいます。
この暑さ、何とかして欲しいです。

この前、ヴッパータールのモノレールに乗ってきましたので、ご紹介します。
懸垂式モノレールとしては、世界最古のモノレールだそうです。


ほとんどの区間がこんな構造をしています。
下はヴッパー川が流れ、底辺のない台形の形をした鋼製橋脚で単線レールを支持し、そこに懸垂式モノレールがぶら下がって走る構造です。
とてもシンプルな構造で、川の上という空間をうまく利用していますね。
鋼部材はリベット接合されています。
それから、補強されているところもありました。鋼板を高力ボルト接合しているので、見ればすぐにわかります。

私が建設コンサルタント会社に入社して、新人研修を受けていたときに、体験業務として初めて与えられた課題が、「モノレールに関する調査」でした。
懸垂式モノレールでは、上野動物園モノレール(1957年)、湘南モノレール(1970年)、千葉都市モノレール(1988年)などを調査しました。そのとき、上野動物園モノレールが日本最古だと知りました。
しかし、このヴッパータールのモノレールは、何と1901年に開通したもので、世界最古の懸垂式モノレールです。
凄いですね。ゾーリンゲンのミュングステナー橋もそうでしたが、100年以上前の鋼構造物が今なお現役というのは、本当に素晴らしいことだと思います。自分が設計した鋼構造物も100年先、200年先にも現役であって欲しいものです。
さて、話が長くなってきたので、ほかの写真を紹介していきます。


ラチストラスを使った橋の向こうに見えるのがモノレールの駅です。
当たり前ですが、駅も川の上の空間にあります。


懸垂式は、カーブが容易です。
構造がシンプルで、急なカーブも曲がれるというのが、この懸垂式モノレールの大きな特徴でしょう。
新人研修以来、仕事でモノレールに関わったことがなかったので、考えたことがありませんでしたが、都市部の交通問題を解決する手段の1つとして、今後も利用価値はあるように思います。


駅に上がってみました。
プラットホームの床板は木製でした。渋いですね。メンテナンスが大変だとは思いますが、何か理由があるのでしょう。


こちらは、車両が入ってくるところです。
ボディは広告に使われているので、車両毎にデザイン(塗装)は違います。
懸垂式っていうのは、説明するのもヘンなんですが、頭のてっぺん1カ所しか支えられていないので、下はブラブラなんです。本当にブラブラ揺れているんです。
プラットホームに近づいてくる車両を見たら、振幅は数十センチはありそうでした。懸垂式ってのはこんなに揺れるんだあって改めて思いました。


こちらは、駅に停車している車両です。
この時もぶら下がっているだけなので、もちろん揺れています。
そして、出発して急カーブに差し掛かると、その手前から振幅が大きくなり出します。車両の下端で測れば1mくらい揺れているんじゃないかと思いました。
この揺れの凄さは、写真ではご紹介できないのが残念です。


こちらは、終点駅です。
終点駅の先は車庫になっていました。


終点駅の近くの区間は、ヴッパー川から分かれて、地上を通っていました。
橋脚の構造も変わりましたね。
柱と梁の隅角部を無くして、カーブさせているのは合理的ですね。
イマジン * ドイツの橋 * 08:12 * comments(4) * trackbacks(0) * - -

レオンハルト博士の生誕100周年記念展

フリッツ・レオンハルト博士の生誕100周年記念展に行ってきました。
博士は、1909年に生まれ、1999年に90歳で亡くなられていますので、今年が生誕100周年、没後10周年にあたります。


会場は、ケルン大聖堂前の広場に面する建物の中でした。
広場には、いつものようにたくさんの人が行き交っていました。


こちらが、フリッツ・レオンハルト生誕100周年記念展の会場入り口です。
ポスターの写真が逆さまなのは、どういう意味なんでしょうか。「その心は?」って聞きたくなりますね。
博士は、シュトゥットガルト出身で、シュトゥットガルト大学で教鞭を振るったほか、学長も務めたそうです。
そして、博士が手掛けた橋梁は、デュッセルドルフの3橋(テオドアホイス橋’57、ラインクニー橋’69、オーバーカッセラー橋’74)やケルンの5橋(ローデンキルヒェン橋’41、ドイツァー橋’48、ミュルハイマー橋’51、セヴェリン橋’59、ツォー橋’66)など、ライン川に特に多く残っています。
また、EXPOドイツパビリオンやミュンヘンオリンピック会場の屋根、シュトゥットガルトのテレビ塔など、土木の範疇にとどまらず建築分野でも多大な業績を残しているそうです。
シュトゥットガルトでも100周年行事としてシンポジウムなどが行われたようですが、ケルン出身でない博士が、ケルンで100周年記念展をしてもらえるというのは凄いことだと思いました。


こちらは、展示会場に入ってすぐのところにあったドイツァー橋の模型です。


こちらは、その隣にあったミュルハイマー橋のタワーの模型です。
模型の作者は何と日本人(シュトゥットガルト大)の名前でした。
この近くに、模型製作中の学生達を写したアルバムがおいてあったので、パラパラとめくってみたところ、たしかに一人だけ東洋人の学生が写っていました。


こちらは、テレビ塔のようですが、シュトゥットガルトのテレビ塔とは違うようですね。
ハンブルクのテレビ塔でしょうか。


模型のほかに、写真、図面、書籍などの展示があり、ビデオも数カ所に設置されていました。


この棚には、博士の名前のはいったヘルメットも展示されていました。
珍しいですね。


こちらは、デュッセルドルフのライン川橋梁の模型です。手前がラインクニー橋、その先にあるのがオーバーカッセラー橋、そして、写真には写っていませんが、さらに先にテオドアホイス橋の模型もありました。


こちらは、博士の手書きの図面だと思われます。
右隅に、「Leo 25.3.80」と書かれていました。左の図の下のほうには縮尺も書かれていました。
この図面を見て、面白いなあと思いました。どの線もフリーハンドで描いたようにガタガタしていますよね。でも、縮尺をちゃんと持っているんです。マンガではなく、精度のある図面だということです。
たぶん、最初に定規を使って、非常に薄い線で正確な図を描いておいて、あとから定規を使わないでその線を強くなぞって、ガタついた濃い線を描いているのだと思いました。
フリーハンドの感じが好きなんだけど、マンガではなく、しっかりと縮尺を持った図面を描きたいという、少し風変りなこだわりを持っているのだろうと思いました。
それともう一つ。こんな図面が数枚置かれていたのですが、どれにも、日付とサインが入っているのも面白いと思いました。日本では図面作成者の名前が出ることなどまずありませんね。国民性や文化の違いなんでしょうか。ドイツでは技術者の社会的地位が高いのだと感じました。


こちらは、報告書のようです。
左側のページが報告書の表紙でしょうね。
右上に日付、その少し下に発注者名、責任者名が来て、そのあとに技術者の名前が書かれています。
中央に件名が書かれているようです。
Modellversuche an der Nordbrücke Düsseldorfと書かれているので、テオドアホイス橋(建設当時の橋名はNordbrücke)の模型実験の報告書ですね。
そして、その下に目次が付いています。
右側の上の写真は模型全体で、下の写真は鉛直荷重を載荷させている様子のようですね。


こちらは、吊り橋のタワーのスケッチですね。どこの橋なのかわからないんですが、上手なスケッチですね。
右下にLeonhardtとサインされています。
たぶんですが、これもちゃんと遠近法を使って(薄い)線を出しておき、あとからフリーハンドでなぞっていって仕上げたもので、実はちゃんと精度をもった立体図なんじゃないかと思いました。

このあと、100周年の記念書籍(A4より少し大きいサイズで全218ページ)が販売されていたので、記念に一冊購入して帰りました。
一冊39ユーロだったのですが、帰宅してから眺めていたら、本の後ろには、「79Euro 119str 69£ 109US$ 169$A」と書かれていました。
たぶん、シュトゥットガルト大学での記念行事に合わせて製本されたもので、ケルンのほうが後だったから定価よりもだいぶ安くなったんじゃないかと思いました。79ユーロだったら、手が出なかったかもしれないので良かったと思います。

帰宅してから、この本をパラパラ眺めていたんですが、「新しい道路橋(Neuere Straßenbrücken)」というところに、フルークハーフェン橋が出ていました。以前にこのブログでもご紹介したことのあるデュッセルドルフ空港の近くに架かる橋です。
説明のところに「V-Form」とあるので、やはりこのV字のタワーは、このフルークハーフェン橋が最初だったんだろうと思いました。
ボリュームがあるので、よく見ていけばほかにも新たな発見があるかもしれませんね。

今回のような一技術者をテーマにした展示を見たのは初めての体験でしたが、とても面白かったです。
博士の100周年というときに、このデュッセルドルフにいれたというのも何かの縁なのでしょう。大切にしたいと思います。

最後になりましたが、この100周年展の情報をいただいたのもKさんからでした。Kさん、いつもありがとうございます。
イマジン * ドイツの橋 * 08:46 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

ラインクニー橋40周年記念

今日は、デュッセルドルフ市の市庁舎で行われている「ラインクニー橋40周年記念展示会」に行ってきました。


ラインクニー橋は、1969年10月16日に供用開始され、40周年を迎えました。
オーバーカッセラー橋からラインクニー橋、ラインタワーまでのライン川沿いの景観は、デュッセルドルフの顔と言ってもいいですので、このような展示会が行われているのでしょうね。
会場では、パネルと模型の展示とビデオ上映が行われていました。お客さんは残念ながら、ぱらぱらでした。


こちらは、1969年に完成したラインクニー橋の模型です。


こちらは、1976年に完成したオーバーカッセラー橋の模型です。


こちらは、1957年に完成したテオドアホイス橋の模型です。


こちらは、ラインクニー橋に使われているケーブルの模型です。
水の浸入を防ぐために外側にZ形の素線を使ったロックドコイルロープが使われているようです。


こちらは、構造一般図と、その上に置かれているのはケーブルのソケットの半割模型です。
図面に書かれている文字や数字はすべて「数字書き(プラスチックのテンプレート)」を使った字でした。
私が就職した頃は、数字書きを使わずに直接手書きした図面が主流でした。手書きの図面にはとても味があり、まさに職人技で字を見れば誰がかいた図面かわかるものでしたので、この橋の図面が手書きでないことには少し寂しさを感じました。
それから、右下の図面タイトル版のところをちょっと見てみました。
図面番号欄には「104/2a」とありました。104枚中2a枚目だということでしょうね。たぶん、すべての図面に図面番号を記入した後に、図面番号2の構造一般図が1枚に収まらなくなってしまったので、2aと2bのように枝番を付けたのだと思いました。
私もよくやったことなので、親しみを感じました。


こちらは、架設工事中の写真です。
ライン川には、今と変わらずたくさんの貨物船が航行していますね。
この写真を見ると、左岸側(写真右の右側)の高水敷部を先に完成させて、ここで反力を取って、中央径間の320mはすべて左岸側からの張出し架設で架設したということなんでしょうね。


こちらは、このプロジェクトに携わった人や企業の名前が記されたものです。
この写真は、計画と設計のところだけ拡大して撮りましたが、これよりも下側には、工事に携わった企業名などがたくさん書かれていました。
で、この写真ですが、辞書を引いていきますと、次のようになっています。
「Planung und Entwurf」は、「計画と設計」です。
その右は、6行目までは発注者の部署や責任者名です。
7行目の「Gutachter」は「専門家」という意味で、その下に4人の名前があります。
最初の「Prof. Dr.-Ing. F. Leonhardt, Stuttgart」は、フリッツ・レオンハルト博士ですね。その少し下にも名前が見えます。
ちなみに、この会場に模型が展示されていた3橋はすべて博士が手がけた橋です。


こちらは、ビデオです。
建設当時の様子や、メンテナンスの様子が流れていました。


こちらは、展示されていたパネルの1つにあった交通量データです。
上には、平日6時から22時の交通量と書かれています。
表は、左から、年、自動車、トラック、自転車です。
参考にデュッセルドルフの人口はというと、現在約59万人で微増を続けています。
この表によれば、自動車交通量のピークは1992年で日6.5万台。現在は15%減少して日5.5万台で、1980年頃の水準になっているようです。
トラックは1972年がピークで日3300台。現在は半減して日1500台となっています。トラック混入率は、わずか3%です。
そして、自転車は2003年まで増加、その後横ばいで、現在は日1900台となっています。
自動車とトラックの交通量をうまく抑えて、逆に自転車の利用を伸ばしていることがわかりますね。
(欧米では、通常3けた毎の位取りにドットを使い、小数点にカンマを使っています)

とても興味深い資料をみることができたので、この展示会に来れてよかったです。
この展示会があることを教えてくれたKさん、どうもありがとうございました。

イマジン * ドイツの橋 * 07:52 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

テオドアホイス橋

紹介しようと思いながら、延び延びになっていた橋があります。
デュッセルドルフを流れるライン川に架かるテオドアホイス橋(Theodor Heuss Brücke)です。
うちの近くに架かっている橋なので、もう何度も渡っている橋なのですが、先日、ライン川を散歩したときに初めて間近からこの橋を見ることができました。
これまでに何度かご紹介したラインクニー橋オーバーカッセラー橋に、テオドアホイス橋を加えた3つの斜張橋が「デュッセルドルフの橋梁ファミリー」と呼ばれています。
3橋ともレオンハルトが設計したものだそうですが、テオドアホイス橋はその中でも最初に設計されたものです。

近代斜張橋は、1955年に完成したスウェーデンのストルムスンド橋(最大支間182.6m)が最初だといわれていますが、その後は西ドイツで発展します。
その西ドイツでのトップバッターが、このテオドアホイス橋です。1957年に完成した、最大支間260mの斜張橋です。よく調べていませんが、完成当時、斜張橋としては世界最大だったでしょう。
このテオドアホイス橋の成功を皮切りに、西ドイツでは、ケルンのSeverin橋(1959年、最大支間302m)、レヴァークーゼンのLeverkusen橋(1964年、最大支間280m)、ボンのFriedrich Ebert橋(1967年、最大支間280m)など、300mクラスの斜張橋が次々に架けられていきました。
テオドアホイス橋は、西ドイツでの斜張橋建設時代の幕開けとなった橋なんですね。ドイツの橋梁史においては、とても重要な意味を持っている橋です。


前置きが長くなりましたが、こちらがテオドアホイス橋です。支間260mに比べてタワーの高さは44mと低いのですが、遠景にはそれをまったく感じさせませんね。


こちらは桁下の様子です。
4主鈑桁だったんですね。
日本から持ってきた資料を引っ張り出して調べてみると、斜張橋区間のタワーと吊材を含む鋼重は、377kg/m2とこのクラスの斜張橋としては非常に経済的な橋であることもわかりました。(このクラスの斜張橋は400〜500kg/m2程度が普通)


よく見ると、この鈑桁は外ケーブルで補強されていました。
これには驚きました。
外ケーブルで補強された4主鈑桁だったんですね。
今でこそ日本でも鈑桁を外ケーブルで補強することも出てきましたが、既設橋の補強で用いられるくらいで、鈑桁を長支間化させる目的で外ケーブルが用いられる例はあまりないと思います。
それが半世紀前から採り入れられていたとは、驚きました。


こちらは桁端部の様子です。
側径間(斜張橋となっていない桁橋の径間)では、外ケーブルで補強された4主鈑桁のみで持たせていました。そして、この外ケーブルは、橋台上でコンクリート床版内に定着されていました。

明日は、うちの子どもたちが「ライン川へ歩く会」で、このテオドアホイス橋まで行くようです。天気予報では雨といっているようですが、何とか晴れてほしいものです。
イマジン * ドイツの橋 * 18:28 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

デュイスブルクのレゴランドと可動式吊り橋

この前、デュイスブルクのレゴランドに遊びに行きました。
ドイツのレゴランドといえば、昨年の夏に行ったギュンツブルクのレゴランドがありますが、実はデュイスブルクにもあったんです。
という話は、前から聞いたことはあったのですが、場所がわからなかったので、今まで行くことができませんでした。今回は場所を突き止めて、ようやく行くことができました。


ギュンツブルクのレゴランドとはだいぶ違って、住宅地内にある完全屋内のテーマパーク?でした。
最初にデュイスブルクの街(建築物や港周辺施設)をモデルにしたミニチュアランドがありました。ミニチュアランドの規模は小さく、そして、なぜか室内をとても暗くしていました。


いろいろなキャラクターの実物大レゴブロックがあるのは、ギュンツブルクと同じでした。


こちらは、実物よりもずっと大きいですが、アインシュタインの顔もやっぱりありました。
ギュンツブルクのアインシュタインは、まじめな顔をしていましたが、こちらのは舌を出している顔でした。個人的には、こちらのほうがよかったですね。


レゴランドのすぐ外は、池(もとはたぶんライン河の河港の一部)になっていました。
足漕ぎのスワン号に乗って、池の上からレゴランドを見るとこんな感じでした。
ちょっと疲れました。


池に沿って歩いていくと河港に出て、面白い形のビルが見えてきました。
レゴランドのミニチュアランドに同じものがあったのですぐにわかったのですが、Five Bootsというらしいです。


Five Bootsの隣は、HITACHIのビルでした。そして、そこに面白い吊り橋が架かっていました。
Fußgängerbrücke(足で歩く橋=歩行者専用橋)と書かれていました。おいおい、もうちょっと名前を考えたほうがいいんじゃないって思いましたが、まあ仕方ないですね。


この橋、数メートル毎になにやら大げさなヒンジがあって、床板部分が曲がるようになっていました。
でもそれ以上のことは考えもせず、橋の先に見えたマルクトのほうへ向かいました。


こちらはマルクトのほうから見た吊り橋です。
地球儀のモニュメントとFive Bootsも入って、なかなか面白い絵になりますね。


こちらは、マルクトで見かけた盆栽屋さんです。
ドイツには、盆栽を売る店がときどきあるんですよね。
ドイツ語でも「Bonsai」と書かれていましたが、ドイツ人は「sa」を「ザ」と読むので、「ボンザーイ」とか言っている声が聞こえてきました。「ボンザーイ」と言われると、何か別のもののようにも聞こえましたが、日本の文化がヨーロッパに伝わっているっていうのは、とてもいい気分になりますね。

帰宅してから、あの吊り橋のことが気になって、少し調べてみると、やはりユニークな橋だとわかりました。
1999年に完成した、支間74mの可動式の吊り橋のようです。何が可動かというと、高さが可動なんです。
こちらの写真をみれば、どのようにユニークなのかわかるでしょう。先日ご紹介したヴェネツィアの橋のように太鼓橋のような形に変形できるんですね。
可動橋というと、お城の堀に架かっているような跳開橋(跳ね橋)や、桁を丸ごと真っ直ぐに持ち上げる昇降橋、平面的に回転させる旋回橋などがありますが、この橋のタイプは可撓(かとう)橋とでも言うんでしょうか、「曲がる橋」というのは初めて見ました。
構造詳細が書かれたページによりますと、橋面の高さは1.1m〜9.2mまで変化できるということなので、普段の状態で橋面の高さより8mほど高いマストを持つ船でも、太鼓橋のようになっているときならば、この橋の下をくぐれるということですね。
いやあ、驚きました。
思いがけず、面白い橋にめぐり会えました。
イマジン * ドイツの橋 * 04:48 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

土木屋の海外生活 オーバーカッセラー橋を訪ねて

今日、懐かしい方からメールをいただきました。
恩師といったらいいでしょうか。
明石海峡大橋の実現にも大きく関わった偉大な技術者で、大変お世話になった方です。この方との出会いがなければ、私は技術士にはなれなかったと思うし、今ドイツにいることもなかったでしょう。いろいろな記憶がよみがえりました。
メールには、
「今日届きました土木学会誌を読みました。
土木屋の海外生活最終回にふさわしい内容ですね。」
と書かれていました。
昔からホメ上手な方でした。褒められて乗せられて、私は勇気を持っていろいろな挑戦をさせていただきました。
今の挑戦は、勇気がなければできないことです。
山さん、ありがとうございました。大変お世話になりました。

掲載された記事は、デュッセルドルフのオーバーカッセラー橋との出会いについて書いています。
貴重な資料をいただいたり、いろいろと相談に乗っていただき、ご協力をいただいた、木田さんにも大変お世話になりました。本当にありがとうございました。

土木学会誌編集委員で、私を推薦していただいただけでなく、さまざまなサポートをしていただいたヤマトさんにもお礼を言っておかなければなりません。どうもありがとうございました。

私の手元にはまだ届いていませんが、以前に少しご紹介しました土木学会誌の「土木屋の海外生活」のコーナーに私の記事を掲載していただきましたので、ご紹介いたします。

土木屋の海外生活 技術者編
第10回(最終回) オーバーカッセラー橋を訪ねて

 私は今、ビールとサッカーの国、ドイツのデュッセルドルフに暮らしている。日本では、建設コンサルタントで10年間、地方自治体で3年間、橋の設計を中心に公共土木事業に携わってきた。そんな私が出会ったドイツの橋を紹介したい。

オーバーカッセラー橋との出会い
 デュッセルドルフにはライン川が流れ、個性豊かな橋梁が並んでいる。そのなかに、私を魅了した橋があった。渡独3日目、ライン川沿いを歩いていた時に、1本柱のタワーが美しい斜張橋、オーバーカッセラー橋に出会った(写真1)。

写真1 現在のオーバーカッセラー橋(最大支間258m)
 橋台の横には橋の歴史を刻んだ銅版があった。19世紀末に二連のアーチ橋が架けられ、そのあと浮橋(一部跳開橋)、トラス橋を経て、斜張橋に架け替えられたようだとわかった。ここから、私はこの橋の歴史に引き込まれていった。

19世紀の鋼アーチ橋建設にみる技術力とゲルマン魂
 19世紀後半、欧州は鉄道の建設ラッシュ。製鋼法がつぎつぎに開発され、強靭な鋼の大量生産が始まった。イギリスでは、1890年に最大支間521mのフォース鉄道橋が完成した。しかし、鋼材を大量に使い過ぎているとの批判もあった。

写真2 最初のオーバーカッセラー橋(1898年、最大支間181m)
 そんな時代に長大な鋼製アーチ橋としてオーバーカッセラー橋は誕生した(写真2)。鉄道と道路の併用橋であった。それ以前は、小舟を数珠つなぎにした浮桟橋しかなかったことを思うと、おそらくフォース鉄道橋への対抗意識があったのだろう。しかし、支間最長を目指すのではなく、アーチの安定感と構造美、そして、道路橋がほとんど建設されていなかった時代に鉄道と道路を併用した機能美も有する橋を建設したところに、ドイツ人の素晴らしさ、ゲルマン魂を感じた。

第二次世界大戦での爆破と復旧、そして、世紀の大移動
 第二次世界大戦末期、ドイツ軍撤退の際にオーバーカッセラー橋は爆破される。この場面は、映画『レマゲン鉄橋』の冒頭の爆破シーンにもなった。同じ年に、浮橋で復旧されるが、2年後に船の衝突で破壊してトラス橋に架け替えられ、その20年後に交通量の増加から今の橋に架け替えられた。
 この架替え工事は、当時大変な話題になった。旧橋の横に新橋を建設し、旧橋撤去後、一万トンを超える橋を旧橋の位置まで約50m、13時間かけてスライドさせるという斬新な工法を採ったからだ。この世紀の大移動を何万人もの人々が河岸や船から見物した(写真3)。

写真3 「世紀の大移動」といわれた架替え工事(1976年)
 このとき、約2km下流にはテオドアホイス橋、約1km上流にはクニー橋(いずれも斜張橋)が架けられていた。狭小なトラス橋が一つしかなかったところに、二つの大きな橋が完成していたことを考えれば、交通への影響を少なくするとはいえ、ここまでする必要はなかっただろう。そこをあえてこの工法が選ばれた。この世紀の大移動は、世界を意識した大事業であり、ドイツの橋梁技術の高さを強く世界に印象づけたことは想像に難くない。

現在に受け継がれる橋梁技術
 最後に最近完成したフルークハーフェン橋を紹介したい。この橋はテオドアホイス橋の下流に架かっている。橋軸方向に傾斜したV字形(逆三角形)のタワーをもち、側径間にストラット付きPC箱桁、中央径間に鋼箱桁を用いた複合斜張橋である(写真4)。

写真4 フルークハーフェン橋(2002年〜、最大支間288m)
 これはタワーを傾けることで、ケーブル角度を起こし、効率的に桁を支持することを狙った形式だろう。私はこのアイデアを福井港テクノポート大橋で知ったが、こちらは事業が凍結し、建設には至らなかったので、実在の橋はないと思っていた。それがここドイツにあった。時代が変わっても斬新なデザインとそれを実現する技術力が受け継がれていることを実感させられた。

日本は今、試されている
 19世紀末の日本は、技術が未熟で、外国人技術者が輸入材料で橋を建設していた時代だった。1897年が八幡製鉄所の開業であったことを思うと、技術だけでなく、工業そのものが欧米から大きく遅れていたといえる。当時のドイツの技術力には本当に驚かされる。それが、1955年の西海橋(長崎県)から日本でも長大橋の建設が本格化し、その後、数十年間で世界に追いつき追い越した日本の橋梁技術の驚異的な発展にも驚かされる。
 そして今、日本は欧米よりも少し遅れて、建設の時代からメンテナンスの時代に移ろうとしている。財源の不足、構造物の老朽化、技術継承の危機など、様々な課題が山積した試練の時代を迎えている。かつて見せた驚異的な発展のように、この試練を克服できるか、試されているように思う。

写真提供:Düsseldorf-Oberkassel, Sutton Verlag, Erfurt 2003, Archiv des VVV Düsseldorf
イマジン * ドイツの橋 * 08:15 * comments(8) * trackbacks(0) * - -

フルークハーフェン橋がエルヴィン橋に?

今日もデュッセルドルフのニュースをご紹介します。
というか、木田さんから聞いていたので、下記のニュースを読む前にこのことは知っていたのですが。

Rhein Brückeのニュースページから引用
「Erwin橋となるか??(2008年8月8日)
『デュッセルドルフ市内のライン川にかかった4番目の橋“Flughafen-Brücke”を今年5月に亡くなったデュッセルドルフ前市長の功績を称え“Erwin-Brücke”にしてはどうかという話が持ち上がっている』・・・この記事を昨日のライニッシェポスト(新聞)に掲載したところ、数百件のメールやファックスによる意見が寄せられた。総じて評判がいい中で、やはり反対意見も見られた。ライニッシェポストでは意見を集めている」

フルークハーフェン橋(Flughafen Brücke)は、以前にご紹介したことのある橋軸方向に傾斜させたV字形タワーを持つユニークなデザインの斜張橋です。デュッセルドルフ国際空港の西に架かっている橋で、デュッセルドルフのライン河橋梁群のなかでは最も北(下流)に位置しています。
この橋の名前を市の財政再建に多大な功績があったとされる、ヨアヒム・エルヴィン(Joachim Erwin)前市長の名前に変えようという話です。なかなか興味深い話ですね。
なにぶん私には予備知識がないので、まずはエルヴィン前市長がどういう人物だったのかを調べてみました。といっても、情報源そのものをあまり持ち合わせていないので、調べるというほどのことではないんですが、うちにあった日本人会報2008年6月号に、「エルヴィン デュッセルドルフ市長のご逝去に際して」という記事にこう書かれていました。

日本人会報2008年6月号(デュッセルドルフ日本クラブ)から引用
「エルヴィン市長は、死の直前まで市長として働き続けられ、三日前にも遺書を残されていた・・・略・・・最後の言葉は『私達のこの都市に神の御加護がありますように』という言葉で締めくくられていた・・・略・・・1949年9月2日、旧東ドイツのテューリンゲン地方のシュタットローダと言う町で生まれました。・・・略・・・1960年からデュッセルドルフに住むようになったそうです。エルヴィン市長は、大学では主に法学を学び、弁護士、市議会議員、州議会議員を務められた後、1999年10月から、デュッセルドルフの市長に選出、再選され、その逝去まで現職を務めあげられました。市長としての最大の功績は、何と言っても、デュッセルドルフ市の財政を立て直し、市を無借金都市にした事と言われて居ります。・・・略・・・また、LTU arenaスタジアムの建設にも、大きな貢献をされました」

なるほど、財政再建に尽力された方だったんですね。
このまちに住んでわずか4カ月の私が見ても、橋梁、道路網、公共交通網、下水道、河港といったインフラ基盤の整備水準は非常に高く、相当な公共投資をしてきたまちだと感じますので、負債も相当なものだろうと想像できます。それを無借金都市にしたというのは、おそらく非常に困難な事績であっただろうと思いました。
で、次にフルークハーフェン橋のことを調べてみました。ドイツ語のページしか見つからず、ちゃんと訳していませんが、大まかなことはわかりました。まず、この橋の建設はエルヴィン市長が就任する前の1998年に開始されたようです。そして、その以前に環境保全問題にかかる裁判等があり、トンネル案を始めいろいろな検討が行われ、市民団体との協議などの末に、ようやく建設に漕ぎつけた橋のようです。つまり、この橋の建設の功労者はエルヴィン市長ではないようです。

最初の記事に戻りますと、「やはり反対意見も見られた」とありますね。そして、「LTU arenaスタジアムの建設にも、大きな貢献をされました」ともあります。
ざっと調べたところの感想としましては、やはりこの橋の名前をエルヴィン市長の名前に変えるには、この橋との関わりが少なすぎるように感じました。それよりもむしろ、LTU arenaスタジアムの建設に貢献されているのであれば、そちらの名前を変えることを検討されてはどうかな、なんて思いました。
まあ、経緯をよく知らないよそ者がくちばしを挟む話ではありませんが、この議論の行方はちょっと注目しています。
イマジン * ドイツの橋 * 08:23 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

イェルディンガー橋

今日もクレーフェルト(Krefeld)で見かけた、ちょっと変わった橋をご紹介します。
昨日ご紹介しました旋回橋からも見える橋でライン河を横断しているイェルディンガー橋(Uerdinger Brücke)という橋です。
ライン河に架かる橋を紹介するのは久々なので、ちょっとおさらいします。
まず、レオンハルトが設計したという3つの斜張橋が、上流から、ラインクニー橋(最大支間長L=320m、1969年)、オーバーカッセラー橋(L=257.8m、1976年)、テオドールホイス橋(L=260m、1957年)とあって、そこから下流側に進むと、次に出てくるのがフルークハーフェン橋(L=287.5m、2002年)です。そして、その次に出てくるのが今日ご紹介する橋です。
ここで少し脱線しますが、レオンハルトを紹介したドイツ語のページを見つけたので、ちょっと眺めていたのですが、5月にご紹介しましたJan-Wellem-Platzの橋レオンハルトの設計だったようですね(紹介写真のアングルも似ていますね)。面白い構造をしているとは思ったのですが、この方は本当にデュッセルドルフと縁が深いようですね。
イェルディンガー橋は、1933年から1936年にかけて建設された最大支間長250mの吊り橋で、建設当初はアドルフヒトラー橋という名前だったようです。第二次世界大戦で爆破され、同じ形式で再建されたようです(ドイツ語のページからの引用なので、誤訳かもしれませんが)。


とても美しい橋ですよね。遠目にはそんなに古い吊り橋には見えません。
しかし、近くで見ると、主ケーブルがワイヤーではなく、鋼板でできていました。アイバー(鎖のようなもの)を使った吊り橋なら、隅田川清洲橋ブダペストセーチェーニ橋を写真で見たことがあったのですが、ヒンジのない鋼板でできた吊り橋を見たのは初めてでした。


ちょっといい写真がなかったので、遠くから撮った写真を拡大してみたのですが、こんなディテールになっています。節点部は変形できる構造(ヒンジやワイヤーなど)ではなく、逆に鋼板厚を増して剛結(節点の交角が変わらないように固く結合)しているように見えます。節点が自由に変形(回転)できなくて、局部応力が大きくなるような感じがするのですが、どうなんでしょう。

疲労亀裂は見つけにくいので怖いですよね。
なんて、すぐに悪いほうを考えてしまうのですが、アメリカ中国だけなく、日本でも供用中の橋が突然落ちるという事故が起こりました。国土交通省が定期点検を行っている直轄国道でも主部材の破断など落橋に結びつく深刻な損傷が見つかりました。一部の自治体では安全を保障できない橋梁を通行止めにしました。今の建設分野が抱える問題として、橋の維持管理はかなり深刻だと思います。
ここドイツでは橋梁点検をやっているところをよく見るような気がします。たまたまかもしれませんが、オーバーカッセラー橋でもつい先日までケーブルを検査車で上っていって点検か何かをしていました。あいまいな記憶ですが、欧米ではインフラの維持管理費の割合が日本よりもずっと多くて、建設投資の半分くらいを維持管理に充てていたと思います。日本でも上記のとおり、維持管理が追いついていないことによる問題が顕在化してきていますよね。しかし、これらの事故では幸運にも死者が出なかったためか、一般報道ではあまり大きく取り上げられていません。これが災いしなければと願うばかりです。
いよいよ1週間後には技術士の筆記試験があります。建設一般の出題予想では、国土交通白書で取り上げられた「地球温暖化」を大本命とする意見が圧倒的ですが、私は「インフラの維持管理」のほうが今年の建設一般の出題としては適当だと思っています。
筆記試験に挑戦される皆さん、日頃の努力の成果を存分に発揮してきてください。健闘をお祈りいたします。

イマジン * ドイツの橋 * 09:07 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

クレーフェルトの変わった橋

デュッセルドルフから北西に20kmほどいったところにある、クレーフェルト(Krefeld)で見かけた、ちょっと変わった橋をご紹介します。
ライン河に合流する幅70mほどの小河川あるいは水路に架かっていた橋です。


このように、橋の手前には踏み切りのような遮断機があって、橋の上は1車線分の車線幅しかなく、交互通行をするようになっています。


橋台背面(橋にかかる手前)は、歩道の幅が非常に広くなっており、コンクリート製の椅子もあります。
桁はリベットで接合された重厚なディテールで、単純桁を2つ架けてから橋脚上を補強して連結したように見えます。
伸縮継手上のガードレールは、単に縁切りされているのではなくて、1mほどの遊間が空いています。そして、橋梁上のガードレールにだけ手摺りが付加されています。
歩道は木板張りで、桁の重厚さに反して非常に軽量化されています。木板の腐食が進んでいて、この上を歩くのが怖いくらいでした。
それから、よく見ると橋脚の幅が、橋台と同じように桁幅よりもずっと広くなっていました。

私はいろいろな疑問を感じました。
「桁の重厚さに反して非常に粗末な歩道(失礼)。これだけの桁なら歩道の死荷重(桁の自重)くらいどうってことなさそうなのに、なぜ木板張りの歩道にしたのか。そもそも支間長(35m程度)に比べてこの桁は重厚すぎやしないか。だいたい、橋脚上で桁を繋いで補強してまで連続桁にしているが、そんなことをしなくても単純桁2連のままで十分だろう」
と、まず思いました。
そして
「あの歩道は建設当初はなくて、あとから拡幅されたもので、支承などへの影響を考えて、軽量な木板歩道を採用したのか」
とも考えましたが、すぐに
「いや、違う。あとから歩道拡幅したのなら、橋脚の幅があんなに広いはずがない」
と、考え直しました。
しかし
「あの橋脚はいったいなぜあんなに幅が広いのか・・・」
との疑問は解消されず、あきらめてこの場を引き揚げました。

帰宅後、googlemapで見てみると、この橋は、Dreh Brückeという名だとわかりました。
そして、小さい橋だけどちょっと変わってるから、もしかしたらネット上で何か情報がつかめるかなと思って、「Dreh Brücke」で検索してみました。すると、この橋自身はでてきませんでしたが、面白いことがわかりました。
Dreh Brückeというのは、橋名というよりも橋梁形式の名称のようで、「旋回する橋」という意味だとわかりました。この瞬間に、すべての疑問が解けました。そうです。すべては桁を旋回させるためのもの(構造)だったのです。

遮断機はもちろん、旋回中に車を停止させておくためのもの。
橋の上が1車線しかなく歩道が木板張りだったのは、桁重量を小さくして旋回装置を小さくするための構造的対応。
橋台の幅が広いのは、歩行者や自転車で待つ人達のスペースを確保するため。
重厚なディテールで橋脚上が補強されていたのは、旋回した状態で(片持ち梁として)長い桁を支えるための補強構造。
ガードレールの遊間が大きいのは、旋回時にガードレール同士がぶつからないようにするため。(たぶん、精密に円を描いて旋回するのではなく、ある程度ぐらつきながら旋回するのだろう)
橋脚の幅が大きいのは、旋回した状態で桁を固定するための何かがあったのだろう。
ということです。
私は仕事で、跳ね橋(跳開橋)には関わったことがあったのですが、旋回橋は見たことがなかったので、今回が初めてでした。なかなか面白い橋を見させていただきました。
イマジン * ドイツの橋 * 07:33 * comments(3) * trackbacks(0) * - -

ミュングステナー橋

今日は刃物で有名なまちゾーリンゲン(Solingen)にあるミュングステナー橋(Müngstener Brücke)をご紹介します。


この鉄橋は、19世紀に建設された、ドイツの鉄橋では最も高い地上107mの橋です。1894年〜1897年にかけて建設されたということですから、以前にご紹介した旧オーバーカッセラー橋と同時期の橋ですね。19世紀のドイツの橋梁技術は、本当にすごいです。
私がこの鉄橋を見て思い出すのは、今はなき?余部鉄橋です。アーチ橋ではありませんが、橋脚の形式はミュングステナー橋と同じトレッスル式です。余部鉄橋は現在架け替え工事中で、おそらく旧橋撤去はすでに終わっていると思います。ちなみに余部鉄橋は1909年〜1912年にかけて建設され、地上高は41.45mだったそうです。ここからも高さ107mのすごさがわかりますね。


こちらは、駐車場からミュングステナー橋公園に行く途中にある橋です。名前もわからない小さな橋ですが、きれいな橋ですね。


こちらは、ミュングステナー橋公園のなかにある渡しです。なぜこんな渡しを造ったのかよくわからなかったのですが、通行料は片道一人50セントでした。
イマジン * ドイツの橋 * 03:37 * comments(5) * trackbacks(0) * - -
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